41歳でお亡くなりになるって…
昨日、格闘家の山本KID徳郁さんが亡くなりました。
41歳だったそうです
先日は樹木希林さんも亡くなっています。
75歳だったそうです 。
41歳と言うと、私はもうすでに過ぎています。
という事は、これぐらいの年齢で現実的に
死というのはすぐ近くにある、と言うことですね。
75歳という年齢にしても、考えてみれば
それほど遠くない気がします。
例えば近頃私は、正月が来るたびに、
「もう1年が過ぎたのか」と思っています。
それをあと30回も繰り返せば、
私は樹木希林さんの年齢になっているのです。
30回、、、すぐですね 。
そう考えると、どちらにしても死というのは
それほど遠くないところにあることを
思い知らされます。
それは避けられず、いつかはやって来ます。
決まっている以上、仕方がありません。
ただ私は、最後の瞬間に人生を振り返ったときに
(そんな時間があるのかどうかもわかりませんが)
いろんな後悔を抱えて死にたくない、
と強く思っています。
「まぁやれるだけのこと全部やったし、
充実した人生だったな」
そんなふうに思って死んでいきたい。
それは、野球の試合に負けた後や、入試に落ちた後に
「あの時もうちょっと頑張っておけばよかった」
と思いたくない、という気持ちと似ているかもしれません。
やれるだけのことはやった。
それ以上どうしようもなかった。
そう思えるとこまでやれば、
結果は何であれ(それが死であろうと)、
受け入れられる気がします。
私はまだ死というものを、
体験したことがありません(当たり前ですね)。
なのでそのことを考えると、
やっぱり怖い気がします。
そしてそれにつながっている
老いというのも、考えたくない、
受け入れたくないものではあります。
しかし、避けがたくやってくるものなので
何とか折り合いをつけたい。
今、私に想像できるのは
「どういう生き方をしたか」が、私を死の恐怖から解放し、
それを受け入れられることにつながっているのではないか
ということです。
なので私は、自分の人生を充実させようと必死です。
周りの顔色や出方を気にしたりして、
挑戦をせずただ時間を過ごしただけ
と言う人生を送りたくない。
何かを成し遂げるために
何かを追いかけるために
人生の時間を使いたい。
それが「成し遂げられるかどうか」という結果の話ではなく、
その過程=人生だと思っています。
長く生きたとしてもあと40年程。
これを長いと思うのか短いと思うのかは
人それぞれでしょう。
私はその密度にこだわっていきたいと思っています。