初めまして、私は中島武志と申します。

このホームページは治療院等、小さなお店の経営に悩む方のお役に立てるよう、

有益な情報を満載したいわば「WEB版のビジネススクール」の様なものです。

 

順に全ての内容を何度も読みかえしていただくと一番良いのですが、

まずはお知りたいことについてだけを見てみる、

という形で使っていただければ、気軽にご活用いただけます。

 

ここではそんな活用の仕方についてご説明いたしますが、

まずはどんな経歴のどんな人間がどんな経験をして

このHPやメルマガをを書いているのかを、お話しさせてください。

 

私は2018年現在、自分の治療院を経営する傍ら、

歩き方改善の指導協会(ネイティブウォーキング協会)を設立し、

その普及活動をしています。

当協会の特徴は指導メソッドの効果はもちろんですが、

インストラクター講座受講者がそのノウハウを使い、

経営的に成功するまでを指導しているところにあります。

 

言わば受講すれば今のところ無償で、

経営コンサルまでついてくる、という形です。

これは「受講者の経営的成功こそが、私たち協会の発展につながっている」

との考え方から行っていることです。

 

では私はどこでビジネスを学んだのか。

私は治療院経営者になる以前は、

10年程自然食品やサプリメントのセールスマンをしており、

ビジネスの基礎の多くはそこで身に着けたものです。

 

 

 

ーここからは、私が今に至るまでの物語ー

 

机の上の携帯を前にして、何度もため息をつく。

電話をかけようと取り上げ、やっぱり机に戻す。

これを何度繰り返したことだろうか。

 

時は20年前。私は自然食品の販売会社で営業マンをやっていた。

その会社では目標と言う名のノルマがあり、それを毎日朝昼晩と、

3回電話で上司に報告することが義務づけられていたのだった。

 

売り上げが立っていないときは、報告の電話は説教の場と変わる。

 

大学を出てすぐに、

モルジブでダイビングインストラクターとして働いていた私は、

帰国後の約1年に及ぶ就職活動の結果、

なんとかその会社に滑り込んだのだった。

 

人見知りだった私は、

できれば営業の仕事は避けたいと思っていたのだが、

何かが特別人よりできないことがなかった私にとって

「まぁ何とかなるだろう」と思い、

取りあえずと安易な考えで入社したのだった。

しかしいざ働いてみると、私の紹介する商品は、見事に全く売れない。

 

毎日お客さん相手に一生懸命話すのだが、

相手の興味がどんどんなくなっていくのが、手に取るようにわかる。

「この商品いかがでしょうか?」

「少し考えてみます」

お馴染みの体の良い断り文句で、案の定その日も成果はなし。

その結果を電話で報告するのだ。

当然上司からは厳しくありがた~い指導をいただく。

 

もうこんな感じで1年が過ぎようとしていた。

一生懸命やっていないわけではない。

でも何をどう頑張ればいいのかすらわからない。

 

売れている先輩に聞いてみる、

営業ノウハウの本を読み漁る、

そこで得た情報やノウハウを試してをみるが、

あまり改善は見られない。

自分よりどんくさそうな後輩が、

どんどん売り上げを伸ばしていく。

 

「俺には営業は向いていないんじゃないか」

そう思わざるを得ない日々が、終わりなく続いていた。

仕事中はもちろん、家に帰っても仕事のことが常に頭にあり、

ほっとする時間は一切なかった。

 

そんなある日、ちょっとした用事であるお客さんの家に、

電話掛けることになった。

数少ない、私から商品を買って下さったお客さんだ。

 

私はそこで私にとって、思いもよらない話を聞くことになる。

「あんたに勧められて買ったあのサプリを食べてから、

膝の調子がすごく良くてね、

おかげさまで先月久しぶりに、

旅行に行ってくることができたわ。ありがとうね」

 

この電話を切った後、何とも言えない幸福感とともに、

強く思ったことがある。

 

それは「俺は今まで商品を売った後、

買ってくださった方のその後を気にしたことがあっただろうか」

売らなくてはいけない、と言うそのことばかり気に掛かり

「何のために売っているのか」ということが、

すっかり抜け落ちていたことに、はっと気づいたのだ。

 

その後、他のこれまでのお客さんにも連絡をしてみた。

やはりその中の何人かの方は、

商品により体調が良くなり買ってくださったにもかかわらず

「ありがとう」と言っていただけた。

商品が売れた時よりも、

上司に褒められた時よりも嬉しい瞬間だった。

 

どうせ今までのようにやっていたって、

この先どんどん劇的に売れていく手ごたえはない。

それなら、上司に褒められた時より嬉しい

この「ありがとう」を聞くために

毎日がんばってみてはどうだろうか。

そう考え方を切り替えてみることにした。

 

考えてみれば私は、商品を私のために売っていただけだった。

買ってくださる方の健康のために売っていたのではなかった。

 

そう気づいた私は、

お客さんの生活環境や健康状態等の綿密なリサーチそして、

その方に合った自然食品や、サプリメントの提案を丁寧にやった。

すると少しずつ歯車が噛み合い出す。

 

最後まで興味を持って話を聞いてくれるお客さんが増え、

商品を購入してくれる方の数がどんどん増えてきた。

売り上げが上がるのもうれしかったが、そんなことより

「ありがとう」がどんどん増えるのが、

たまらなく嬉しく、誇らしかった。

役に立てている。

良い仕事をしている。

そんな充実感で、毎日仕事に行くのが楽しくなった。

 

後から考えてみれば、

勉強した営業技術や知識・スキルは確かに必要だったが、

ただ人を相手にしている以上、

それらの前に「心」が必要だったのだ。

 

これらが噛み合い、毎日楽しく仕事をしているうちに、

気づけば全国500人規模の営業マンの中で、

月間トップや年間トップの売上で、

表彰されるところまでたどり着いた。

 

相手の幸せを願い、そのために情報や技術を駆使する。

そんな自分のスタイルに、誇りと自信を持つようになった。

 

そんな時、会社の重役が独立にするあたって、

一緒についてこないかと私を誘ってくれた。

不確定な未来だったけど、自分のやり方や存在を

認められていると思い、嬉しかった。

 

そうして立ち上げから参加したその新会社では、

一営業マンとしてだけではなく、

営業マンの育成も担当する

「プレイングマネジャー」的なポジションを任された。

 

「自分がやるのではなく、人をできるようにする」

と言う難しさを感じながらも、がむしゃらに頑張った。

自分が会社の中核で働いている、という喜び。

 

会社自体もどんどん成長していった。

全てがうまく回っている気がした。

しかし立ち上げから3 ~4年が過ぎた頃から、

売り上げは伸び悩むようになってきた。

現場にいる私たちから見れば、ビジネスモデルが古くなり、

通用しなくなってきているのは明らかだった。

 

しかし現場に出ていない会社の経営陣には、それがわからない。

それを懸命に訴え、

ビジネスモデルの変更を提案するも、

自身たちも営業マンだった経営陣からは、

売れない営業マンの言い訳に聞こえていたようだった。

 

それまで任せてもらっていた、

営業のやり方にまで介入されるようになる。

そしてどんどん売ることへの圧力が高まっていく。

 

必要とは思えない商品や、

利ザヤだけ大きい商品などが増えてきて、

お客さんに自信を持って勧めることが難しくなっていく。

そんな中でも私は現場と経営陣の間に立って、

何とか頑張ってきていたが、

ある日決定的なことが起こる。

 

私はそれまでずっと、安定して売り上げを上げてきていたが、

たまたまその月だけ売り上げが上がらなかった。

お客さんに商品を無理矢理押し付けない私にとって、

その月はたまたま「ローテーションの谷間」が重なった月だった。

 

その月の幹部会議の前に、社長に呼び出される。

私が売れていないというのは珍しかったので、

理由を聞かれるとは思っていた。

でも「来月は大丈夫です」で済むと思っていた。

これまでずっと売り上げを上げてきていたからだ。

 

しかしそこで言われた事は、私にとっては信じられないことだった。

 

「売れなかったことを他の社員の前で謝れ」そう言われたのだ。

今まで売れなくて、そんなことをさせられた社員はいない。

 

大きな声で叱責もされ、

「本社の事務社員の手伝いに回すぞ」とまで言われた。

 

そして実際に大勢の社員の前で、

その月売れなかったことを謝らされたのだった。

 

相手を幸せにして、自分たちもその結果幸せになる。

そういう私のやり方を、認めてもらっていると思っていた。

 

でもそうではなかった。

結局よりたくさん売った社員が、

会社にとっては重要だったと言うこと。

 

実際に、

ルール違反で売っている社員、

クレームの多い社員、

女性社員に手を出しまくっている社員などでも、

売っている限り何も言われなかった。

「売れれば何をやってもいいのではない」と苦言を呈していた私は、

それらの社員や、

結局は売り上げ至上主義の経営陣にとって疎ましかったため、

どうやらスケープゴートにされたようた。

 

私はその会社の文化やルールにとっては、

「異端」だったことが、はっきりした日だった。

 

その会議の後、自分の車に乗り込み、

悔し泣きしながら、妻に電話した。

「俺、会社辞めてもいいか。苦労かけるかもしれんけど、

もうこの会社では、頑張れそうにないわ」

そうして10年働いたその会社を辞めることになったのだった。

 

そのときそろそろ人生も大体折り返し地点。

この先の人生はもう、生き方にこだわりたい。

相手を幸せにして、

相手を喜ばせて、

相手を成功させて、

その結果自分も幸せになる。

 

そんな「俺いい仕事してる」と、

自分に誇りを持てる仕事をしたい。

 

そのための技術やノウハウは、

この10数年で培ったはず。

そんな会社を探すより、

自分で作ったほうが早いのではないか。

 

そして私は、治療業界に身を投じることになった。

実際その時に、私の体は長年の酷使の影響と、

過去のお怪我などの影響が重なり、ボロボロの状態。

 

お客さんには、本当に良いと思うものを紹介したい。

それにはまず、自分の体で試せばいい。

そう思い、退社後様々な治療に取り組みます。

その中で静岡で受けた整体治療がとても効果的で、

理論的にも納得いくものだったことから、それを学び習得。

そして希望を胸に、治療院を開業。

様々なことに不安はあったものの、来てさえくれれば何とかなる。

 

そう思っていた。

 

しかしそこで直面したのは、

皆さんと同じように「集客」の難しさ。

そもそも来てもらえないので土俵にすら上がれない。

当時の集客方法は、

学んだ整体学校の指導通りチラシとフリーペーパーがメイン。

文言や色味、大きさや字体などに工夫を凝らしますが、

望んだ成果は手に入りらない。

 

成果は上がっていくどころか、

年々いや毎月どんどん落ちていく。

そうこうしてるうちに、毎月の収支は赤字に。

開業時すでにそれほどなかった貯金は、

あっという間に底をつくことに。

毎月の支払いは、ほとんどクレジットカード払い。

それをどんどんリボ払いに回して、何とか食いつなぎます。

 

あれほど「カードの締め日」に気を配りながら

買い物をした日々はなかったと今も思い出します(笑)

 

今では妻と笑い話として話すのですが、

年末に甥っ子や姪っ子へのお年玉が捻出できず、

スーパーのキャッシュディスペンサーで、

キャッシングをしてしのいだこともありました。

高利のリボ払いがどんどん増えていき、

自己破産がちらつきます。

でもそんな時でも最初に掲げた

「相手の幸せの延長で、私も幸せになる」

と言う信念は曲げませんでした。

 

「売上のために」

「自分の生活のため」にを最優先にすると、

あれだけ嫌だった前の会社と、同じことになります。

 

「俺は何のためにあそこを飛び出したのか」

そう思い、なんとかこの状態から抜けだそうと

歯を食いしばって頑張っていました。

その時思っていたのは、

チラシやフリーペーパーは結局「バクチ」的な要素が強い。

その時当たるか当たらないかで、

積み上げやフィードバックが取りにくい。

 

こんな不安定なやり方を

いつまでも続けていくわけにはいかないな、と言う事。

 

そういった面から考えても、時代的にもホームページを使った

「ウェブでの集客」は避けては通れない、ということを実感していました。

 

その頃ホームページを持ってはいましたが、ただの飾り。

そこからの集客などほぼ皆無で、夢のまた夢という状態。

なけなしのお金を払って、ウェブコンサルタントに依頼し改良をしてもらったり

リスティングをかけてもらったりしましたが芳しくなく、

その担当者の言い訳ばかりを聞くことに。

その担当者やその会社が頼りない、

役に立たない事は薄々わかっていましたが、

しかしどう探せば良い業者を探せるのか、わからない。

 

そして私たちには、もうそれに注ぎ込む予算もありません

追い込まれた私たちは、

ついに自分たちでウェブ集客のシステムを構築する、

と言うことを選択します。

 

幸いにして多少のプログラミングの知識はあったため、

後はウェブでの集客のシステムの作り方です。

それを調べて読み漁っていた本の中に、

「ダイレクトレスポンスマーケティング‐営業の仕組みに近いマーケティング‐」

という文章が目に飛び込んできます。

調べればそれこそが、私の知りたかった

ウェブ集客の基礎的な考え方や仕組みでした。

それを調べ読み漁り、試行錯誤繰り返します。

 

すると徐々にホームページからの反応が出てきました。

結局はそれは、営業の仕組みと似通ったもので、

私にとっては長年戦った得意の戦場だったのでした。

 

しかしそうやってウェブ集客の見込みが立ってきたその一方で、

解決すべきものとして

「勝負する市場の選定」という問題がありました。

 

具体的に言えば、肩こりや腰痛などでは、

あまりにも競争の激しい市場のため、

どうしても量的に埋もれてしまうのです。

 

そんな「勝負になる市場」を探している中で、

ふと外反母趾はどうだろうかと思いつきます。

私の母が外反母趾で、治療に苦労していたことから思いついたものでした。

 

まずは私もテーピングやサポーターマッサージなどに

取り組んではみたものの、一向に改善の気配はありません。

 

様々なことを試しても改善せず、

「外反母趾は治らないよ」という方達の言葉もあって

あきらめかけたその時、

足の先進国アメリカの「足病医学」と出会うのでした。

 

出会いはアメリカ発のインソールメーカーの勉強会。

インソールに興味があり参加したのですが、

その勉強会での説明に、アメリカ足病医学ではすでに広く知られた、

「オーバープロネーション」という、

外反母趾発生の明確なメカニズムがありました。

 

「これがわかれば、逆にたどれば外反母趾は改善できるのでは」

私はそう考え、試行錯誤を繰り返します。

 

自分の足や母の足はもちろん、

患者さんにもご協力をいただき、

改善のための歩行改善のメソッドを組み立てます。

 

やはり狙い通り、外反母趾は歩き方の問題。

ドンドン情報が集まり、改善の実績が積み上げられていきます。

そしてその中で治療というより、

歩き方「指導」という中核メソッドの構築に当たり、

営業マン時代に身に着けた、コミュニケーション能力が、

大きく力を発揮することになります。

 

そうして今ではついに、返金保証までつけられるほどの

安定的で効果的な改善手法にまで成長しました。

 

確かな「外反母趾改善のメソッド」と「ウェブ集客の仕組み」

この2つが組み合わせることにより集客は爆発的に成功します。

 

わずかの広告費で、月の問い合わせは50件を優に超えます。

新患受付は1ヵ月以上待ちなどは、ざらにある状態。

そうこうしているうちに、

ウェブ集客の仕組みや外反母趾改善のメソッドを

教えて欲しいと言う治療家の方が、ちらほら出てきます。

 

当初は自院の拡大を考えていましたが、

この効果的なメソッドをいち早く広めることが、

多くの患者さんを救うことに。
そしてまた治療家の方を救うことになると考え、

指導協会を設立し治療家の方にノウハウを公開。

現在に至ります。

治療を受けに来られる患者さんに対しても、

指導を希望される治療家の方たちに対しても

私の胸にある思いはいつも同じです。

 

「この方たちが喜んだらいいな。幸せになればいいな。

楽しくなればいいな。そしてそれを提供できた結果、

私たちも繁栄すればいいな。」

 

俺、良い仕事をしている!

そういう人生の充実を作るために、今日も日々向き合っています